ちょっと一言ひとりごと

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NO15  将来の国会議員さんへ
NO14  この子たちはどんな大人になるだろうか
NO13 席を譲られるようになった
NO12 自民党の不安要素が見えてきた
NO11 日本の少子化対策について思うこと
NO10 八戸の「タイガーマスク」
NO.9 「八戸駅」から「大宮駅」まで放射能を測ってみた
NO.8 ご苦労さんでした銚子無線局
NO.7  未来ある若者達を救え
NO.6 国家資格たる「宅地建物取引主任者」について思う事
NO.5  土地をタダでくれる時代になった
NO.4  取引をみて思う事 
NO.3  今の若者達もすてたものではない 
NO.2  少子化の影響だろうか?
NO.1  不動産にもブランドがあるのかな?



NO.15将来の国会議員さんへ(2017.9.30)

民進党の党首が解散総選挙で
民進党の国会議員全員が希望の党から公認をとれるよう努力すると語っていた。


民進党としての誇りを捨てたのか。厚顔無恥もはなはだしい。厚かましいにも程がある。
政治家としての資質,認識はこんなものなのか。

国会議員は、国家国民の為、やらなければならない基本的な仕事、
それは国益にかなう政策を実行するごとであり、それに向かって日々努力することである。

それに反し、ただただ相手を批判し、足を引っ張て来たそのツケが今ここに結果として現れた。

共産党にはあまり協賛することはないが、党としての理念がぶれないのは大したものだ。

選挙に出馬しようとしている方々、当選したら、もっと立派な、嘘をつかない国会議員になってくださいね

                            平成29年9月30日




NO.14 この子たちはどんな大人になるだろうか(2017年3月18日)

もう3年位前になるだろうか。
上京し、所用を終え、帰宅する電車内での出来事。

埼京線の大宮駅行きの電車で池袋駅より乗車し大宮駅に向かった。

十条駅で中学生と思われる子供たちが5,6人乗車してきた。

ちょっと不良っぽく生意気盛りの彼らは、あーでもない、こーでもないと、にぎやかの事しきりであった。

彼らの何人かは手に缶ジュースを持ち、それを飲みながら騒いでおり、飲み終えた空き缶を自分の足元へ
置いたまま話をしていた。

そして目的の駅に着いて帰ろうとした時、その中のリーダー格と思われる子が
「おっと空き缶をこんなところへ置いていちゃダメだな」と言ってお互いに自分たちが飲んだジュースの空き缶を
持って降りて行った。

おー、なかなか関心なところがあるな。と思っていた。

その後電車は何駅か通過し、ある駅に停車し乗客が入ってきた。

なんの気なしに自分の斜め左側の方を見ると、きれいなご婦人と小学校4年生位の男の子が仲良く座っており、
男の子は紙パック入りの何かを飲んでいた。

それ自体何も変わった事でもないので、別に気にもしないでいた。

ただ、その男の子がそれを飲み終えた時、その紙パックを自分の足元へ置いたのである。

前の中学生の子たちの事もあり、さてどうするのかなと思っていたら
次の駅に着くちょっと前に、母親が先に立ってその子も一緒に今まで座っていた席を向いの席に移したのだ。

飲み終えた空の紙パックを置いたまま。

電車内は閑散としていたわけではなく、立っている人はいなかったが、普通より少し空いている程度だった。

ご婦人とその子は、大宮駅につく前に下車していったが、その間何事もなかったように平然としていた。

その紙パックは大宮駅までそのままだった。


(今思うのだが、自分自身もそれを見ていながら何もしなかった。そんなに気になるのであれば大宮駅で降りる
時に自分で処分すればよかった))



NO.13  席を譲られるようになった  (2013年7月11日)

7月4日、東京都内で電車のに乗った。
別に手荷物も持っておらず、割りと気軽な服装であった。

電車に乗ってつり革につかまると、目の前に座っていた、年頃30代後半か40代前半の
品の良い女性が「どうぞ」と言って席を立ってくれた。

一瞬何の事かと思ったが、「そうか、席を譲ってくれたんだ」そう思い、お礼を言って
席に着いた。

自分では、まだ若いつもりで体力には自信があったが、やはり見た目には高齢者と
受け止められたのだろう。

しかし、別に悪い気はしなかった。美しい女性からのいたわりに、すごく気をよくしたもんだ。

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これまで電車の中で席を譲ってもらったのは2回程ある。

私が初めて席を譲られたのは、3年ぐらい前だったろうか。

やはり都内の埼京線に乗った時だった。

小学校4年ぐらいの男の子が周りの人に気恥ずかしそうに、席を立ってくれて
その席を譲ってくれた。

その次は、中学校1年生ぐらいの男の子。

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思うことは、自分はまだまだ若いつもりでいたが、実際は、もう若くはないと言う現実である。
事実、以前のように仕事の段取りがスムーズにいかなったり、小さなミスをする事が増えてきた。

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そうは言っても、まだまだ悲観する気はない。

自分が本当にリタイアするまで、自分が本当に納得して仕事を辞めるまでもう少し踏ん張ってみるか。



NO.12  自民党の不安要素が見えてきた(2013年6月3日)

自民党による原発の再稼動を促進する動きが活発化している。

自民党では今、「電力安定供給推進議連」なる組織を発足させ、何とかして原発の再稼動を
可能にする方策を練っている。

そのメンバー80人の中には、青森県の大物議員を含む4人の青森県選出自民党議員が含まれている。

原発の再稼動については、何ら否定するものではない。

日本のエネルギーとして原発を稼動する事は必要である。

しかしこれも原発の安全性を担保するという前提に立った上での話である。

新聞によると、「電力安定供給推進議連」は、電力業界からの一方的な主張を受け入れる一方で
原子力の安全性に厳しい対策を講じている「原子力規制委員会」に対して圧力をかけようとしているらしい。

このようなやり方は感心できない。

国は原子力施設の直下に活断層が存在する場合、これら施設の設置を認めていない。

別の言い方をすれば、既存の施設の直下に活断層の存在が確認された場合には、その原子力施設は
運転できない事になる。

「電力安定供給推進議連」では、原発施設の直下に活断層があっても施設を稼動できる方法を模索していると言う。

自民党は福島第一原発のたった一度の事故によって、周辺地域はもちろんの事、国家に与えた影響の大きさ、
電力会社がその存続さえ危うくする事態に陥った事をもう忘れたのか。


事故が起こる前の原子力発電所の安全神話は事業者と過去の自民党によって作り上げられてきた。

事故からまだ3年も経っていないのに自民党は又過去へ戻ろうとしている。

自民党の危うい本質、不安要素が又見えてきた。




NO.11  日本の少子化対策について思うこと(2012年12月28日)

今子供を出産するのに40万円かかると言う。
若い者にとって、40万円とはかなりの重責である。

逆に出産したら40万円もらえるとしたらどうだろう。
少なくとも、今の若者の心理的、経済的の負担はかなり軽くなるのではないか。

現在の日本の新生児出生者数は100万人をわずかに超えている。

仮に新生児出生者が100万人から150万人になったとしたらどうだろう。
150万人x40万円=6000億円。
この政策を10年間推し進めたとすれば6000億円x10年=6兆円

今、阿部政権が年間10兆円規模の投資をして、日本再生をはかろうとしている。
その一部でもいい、6000億円をこれにあててくれればいい。

長い投資にはなるが、日本の原動力になる一番の投資ではないか。

子育てに伴う諸問題はもちろん考えなくてはならない。
それを考える事こそが政治家の仕事、力量の問題だ。



NO.10  八戸の「タイガーマスク」(2012年12月19日)


先日、会合があって学生時代の友人らと暫らくぶりに会った。

ある友人と二人で2次会に行った時、何かの話のついでに
数年前、タイガーマスク又は舘直人などの名前で日本の各地の施設、学校などにランドセルや現金が置かれ
子供達への思いを寄せる行為が続発した時がある。

友人がポツリと言った。
「あの時八戸では誰も手を挙げなかったので俺がやったんだよ」と言って、ある施設へ匿名で10万円寄付した事を語った。

それから数年経過しているが、その当時でも
もちろん今でも、そこの施設の方や役所の方、誰も彼のことを知る由もない。

たいしたもんだ。
私達にとって、別の世界と思っていたことを彼は平然とやってのけたのだ。

衆議院議員の選挙も終わり、当選した方、落選した方、そしてもちろん我々もだが、
日本各地で起きたこのような善意を、今又少しでも思い出しておきたい。

選挙に負けたのを、他人のせいにした女性の閣僚がいたが、それを論ずるより 
普段からの行動をもっと反省したらいかがかな。

選挙の時だけ、いい顔してもみんな見ているよ。




NO.9  「八戸駅」から「大宮駅」まで放射能を測ってみた(2012年7月9日)

所用で上京する機会があり、新幹線に乗車している時間が長いので、「八戸駅」から「大宮駅」まで放射能を測ってみた。

これは素人が測ったもので、決して正確な値でない事を前提にして、上京中の新幹線の中で測った放射能の値である。

放射能測定器は、市販されている簡易な環境放射線モ二タである。

八戸駅14時6分初の新幹線の車内。

 発車してすぐの値は0.027〜0.042ベクレル。

盛岡駅を発車後は0.028〜0.033ベクレル。

仙台駅構内では0.044〜0.052ベクレル。

仙台駅を発車後は0.033〜0.042ベクレル。

白石蔵王駅を通過するころは0.070〜0.085ベクレル。
  その後長いトンネルに入り、そのときのレベルは0.044ベクレル。
  トンネルを抜けてから値は上昇し、0.103〜0.196ベクレルとなってきた。

福島駅を通過したころは0.169〜0.208ベクレル。
  トンネル内では0.037〜0.127ベクレルであったが、トンネルを出てからは0.468ベクレルまで上昇。

郡山駅を通過後は0.144〜0.256ベクレル。

新白河駅を通過後は0.078〜0.152ベクレル。

那須塩原駅を通過中は0.132〜0.163ベクレルあったが駅を過ぎてからは見る見るレベルが下がり始め0.071〜0.064〜0.047〜0.043〜  0.036ベクレルに下がった。

大宮駅辺りでは0.045〜0.050ベクレルであった。

この値は高いのか低いのか素人の私には分からないが、ひとつの流れが分かる様な気がする。



NO.8  ご苦労さんでした銚子無線局


仕事柄、関東地方の競売物件を閲覧しているが、この間、思いがけない物件を目にした。

銚子市にある銚子無線局が競売に出されていたのだ。


銚子無線局(JCS)といえば長崎無線局(JOS)と並んで、日本の2大無線局の中の一つである。

日本の船舶はもとより諸外国の船舶にとっても日本との情報通信の最大基地局であった。

JCS(モールス信号 トンツーツーツー  ツートンツートン  ツツツ)のコールサインは
いまだに私の頭から離れない。


四十数年前、国際航路の貨物船に乗船中、太平洋、カリブ海、インド洋、大西洋、地中海、黒海など
ほとんど全ての洋上から通信した。

通信状態が悪く、蚊の鳴き入る様なモールス信号を必死で受信した事もある。

遠い洋上から日本と交信できる唯一の通信所だった。


衛星を利用した通話による通信方法が主体となり、モールス信号による通信手段がなくなってから久しい。

時代の流れを目の当たりにしたようだ。

ご苦労さんでした銚子無線局。  (Sun.10.6.2012)

NO.7  未来ある若者達を救え

今、20代、30代のこれから日本を背負わなければならない様な若者たちが、
仕事に就けず路上にさまよっている。

それは日本経済の失速に起因するのも理屈としてあるが、企業の労働者に対する意識の変革に
よるものもある。

戦後の高度成長時代の企業と労働者との関係は、共に相手を意識した状況の元で成り立っていた。

即ち、労働者の賃金など労働条件の改定は、労働者側がその企業や日本経済の状況を見ながら労働条件を要求し、
企業はこれらに回答するという形が主流であった。

いわば企業と労働者が互いに妥協する形で成り立っていた。

ところが派遣労働者雇用の規制緩和により労働者側の形態が正社員と派遣社員という2重構造になってしまい
企業が求める労働者への待遇の設定は、企業側が主体となる構造が出来上がってしまった。

更に企業の雇用の主体が派遣労働者から派遣会社へと移行し、派遣労働者が企業へ労働を提供する請負契約の形態が、
完全に遮断されたからである。

これでは以前のように、派遣労働者が企業に対し、労働条件を交渉できない状況になってしまった。

日本の将来を担う彼らを、このままにしておいてはいけない。

心ある政治家がいるならば、早くこの状況を克服するよう努めなければならない。

与党、野党の先生方、党利党略ばかり考えず、ある時には各党の垣根を取り去り、もっと真剣に日本の行く末を考えてもらいたい。

                                          ・・・・・ 2008年元旦 ・・・・・


NO.6  国家資格たる「宅地建物取引主任者」について思う事

住宅瑕疵担保履行法によって平成21年10月1日以降の新築住宅の引渡しには
資力確保処置を取る事が義務づけられる事になった。

我々不動産業界の中には住宅、建築業務を兼用している方も多いはずである。

消費者保護の為とはいえ、次から次へといろんな法律や行政指導で我々業界への
負担も多くなってきている。

その分、業界の資質向上にもつながるのであれば、又社会的信頼を得るに足りるものであれば
それも十分に理解できる。

そこで我々の免許資格「宅地建物取引主任者」の事であるが、今の日本には司法書士、行政書士、建築士などから
訳の分からない、国家資格のない、いろんな「・・士」という名称の資格が随分と多い。

不動産業界の社会的貢献度の高い実績と、これ程までの幅広い知識が要求されるのであれば
主任者たる所以はないだろう。

「主任者」ではなく「・・士」であっても、それに足りる十分な資質は備わっているはずだ。

会長の葛西重明氏が言っておられた。我が協会で発行している「宅建あおもり」は
業界の知識の糧になるような事案が毎回掲載されている。よく読むことを薦める、と。

                                                   2008年10月号「宅建あおもり」掲載



NO.5   土地をタダでくれる時代になった

平成17年3月 「土地をもらっていただけませんか」 という電話をいただいた。

昭和54年に120坪を総額480万円で買った土地で、今更地のまま放置しているという。

理由を聞くと、隣人から草刈を要求されたり、固定資産税の支払いなどがあり、
管理が大変だとの事である。

土地を買った当時は、「土地は永代の宝」 「土地は不動の資産、必ずや値上がりする」と
誰もがそう信じていたし彼もそう信じて購入したものであった。

「土地をもらってくれる人」 を探したが、土地をくれる理由を聞くと、ほとんどの人がそれに納得し
もらうのを拒んだ。

不動産の価値観がなくなった今、土地が、必要のない何ら利益を生まない負の資産であるならば
自分の子孫にそれを受け継がせるわけにはいかないからだ。

結局、3ヶ月ぐらいしてようやく 「事業用の担保の足しになればもらってもいい」 という知人に
もらっていただいた。

「土地をタダでくれる」 というのも初めてだが 「タダでもいらない」 というのも初めてだ。



NO.4     取引をみて思う事

この商売を始めてから早いものでもう30年になろうとしている。

最初のうちはあまり感じる事はなかったが,最近は売買の当事者の顔と胸の内が
よく見えるようになってきた。

一生懸命頑張っているが、どうしても上手くいかない人、

保証人になったが故に財産を処分しなければならなくなった可愛そうな人、

怠けてろくな働きもせずに代代からの財産を食いつぶしている人,

離婚した為やけくそになってマイホームを売る人、

又もう一方の当事者も

財力にものをいわせて相手の事など一切考えずに強引な取引をする人,

単刀直入に一切の交渉もせずに取引にはいる人,

ネチネチと相手を立てるふりをしてしっかりと自分の要求をとおすしたたかな人、

お互いに相反する利益の為交差する思惑・・・。 人それぞれである。

この間の取引の事。

夫を亡くした初老の母親と品の良い娘さんの二人家族。

20数年住んできたマイホームを手放すには、よほどの覚悟があったと思う。

もう一方の相手方は30代中頃の若い夫婦。

夫は話をしていてもその活力が伝わってくるようなバリバリの働き手、

若い奥さんも小さい3人の男の子に囲まれ子育てに一生懸命のにぎやかな家族。

家の中を案内しに行った時、それまで静かだった家の中が子供達の声で
たちまちにぎやかになってしまった。

初老の母親とその娘さんもニコニコしながら嬉しそうにその様子をながめていた。

幸い商談は成立し、その家はこの元気な若い家族のもとへ引き取られていった。

母,娘さんも愛する我家の持ち主がこの若い家族に引き継がれた事は
良かったに違いない。

それは彼女達の微笑みにも表れていた。  お互いの家族に今後共幸あれ!

                                ・・・ 2004年2月 ・・・

NO.3     今の若者達もすてたものではない。

商用であちこちに行く機会があるが 行き先での出来事

東京の有楽町で行き先がわからずどうしようかと思い 近くの若い女の子のグループに
尋ねてみた。

どれどれ と近寄ってきて あーでもない こーでもない といいながら探しあて場所を教えてくれた。

別れ際 お気をつけて の一言、すっかりいい気分になったもんだ。

宮城県JR仙石線の ある小さな駅前での出来事。

男子高校生が自転車に乗って走って来たところへ 小学校4年生ぐらいの男の子がぶつかってきた。

どうみても男の子が悪いのに その男子高校生は ころんだ男の子に近寄ってきて 大丈夫か の一言

男の子は悪い事をしたと思ったのか 走り去ってしまった。

男子高校生は散らばった自分の買い物袋を 自転車の荷台に入れなおして 走って行った。

仙台駅前の食堂で食事をしていた時

食堂の自動ドアーの入り口で 車いすで入ってきた中年男性が 入り口の敷居に引っかかって
入れないでいた。

その時 隣のテーブルにいた 4人組の大学生らしいグループの中の一人が その男性の所へ駆け寄って
車いすを押して 店の中へ入れてくれた。

他の友人に冷やかされながら 苦笑いをしていた。

又、 八戸の朔日町の信号のところで 信号が赤になったので 車を止めた時 向かいを歩いていた
背中が丸くなった 80歳近くになろうかと思われる女性が 交差点の中で転んでしまった。

危ない と思った瞬間、店の中を掃除していた 若い女性店員が バタバタと走ってきて 
又、近くにいた中年に近い女性も 走りよってきて その老婆を抱き上げ 歩道に連れてきてくれた。

今時の若いもんは と言う昔からの言葉はあるが、今時の若いもんも すてたものではない。


              

NO.2   少子化の影響だろうか?

この商売を始めてから早いもので 足掛け27年になろうとしている。

以前であれば 例えば宅地や中古住宅等の不動産の売買を依頼された場合

まず最初に足を運ぶのが その売買物件の両隣の方々でした。

その時たいていの方は 資金的に余裕があって 価格的におりあいがつけば
「不動産は将来の蓄えに」 とか 「自分の子供や孫の為に」 と言って
買ってくれたものでした。

 ところが最近では
同様に売買物件を依頼されて 両隣へ売り込みに行っても
出てくるのは 老夫婦 とか 一人暮らしのお年寄り の方という場合が
多くなってきている。

話を聞いてみると 近所には若い夫婦や子供が少ない。

自分たちも いつかは ここを売り払って 子供のところで 世話になる
つもりでいる・・・とか。
 
我々の住んでいる地方都市では こうして過疎化が進んでいるのかな・・・と
思う昨今である。 


              


NO.1   不動産にもブランドがあるのかな?

先日、所用で上京の折り 渋谷駅の近くで不動産業を経営している方と 懇談する
機会がありました。

東京都内でも地価の値下がりは止まらず 毎年4%−5%の割合で下がっているとの事
ただその中でも 麻布とか青山方面ではブランドに似た意識からか 物件があると 
予想以上の高値で 売買されているとか。

当地八戸でも やはりその現象は 見られる。

全体的に見ると 地価は下がっているように見えるが 根城 長者 小中野等の地区は
比較的売り物件が少なく 人気の良い地域である。

反面 桔梗野 市川 鮫方面等の地域は あまり人気がないように思われる。

区画整理の進んでいる地区では 売り物件も かなりあるが 比較的時間をかけて
何とか売っている様だ。

階上にいたっては 売り物件が非常に多く 供給過剰気味になっている。

家を建てられない地域、すなわち市街化調整区域に至っては ほとんど皆無に近いと
言っていいほど 需要がなく 買値の半分以下でも 売れない現状である。

山林については 安ければ 以外と売れている。  ・・・ 2001年9月 ・・・

   
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